| 展覧会メモ
NAMコレクション2025 第Ⅱ期 | マルセル・デュシャン + 松澤宥 – オブジェの誕生と消滅 – | 長野県立美術館
>> 指定と指示のちがい
| 2人のオブジェ
>> “つくらない”という所作、思惟と恣意の精査は相違へと行き着く…。
デュシャンの「レディメイド(Readymade)」は、既製品をそのまま、或いは最低限の書き込みや加工を施して展示した作品です。瓶掛けに瓶がかかることは無く、ましてや横倒しにされ、配管等も付属していない便器では用を足すこともできません。ある特定の用途のために生産されたはずの工業製品は、見た目はさほど変わらないにも関わらず、実用的な機能を奪われたことで、無機質なオブジェとして鎮座しています。
大量生産を避けるために最小限の数しか制作しなかったデュシャンと異なり、松澤手製のオブシェは増殖を続け、ついには自宅の屋根裏部屋「プサイの部屋」を満たすまでに膨らむこととなります。
| 既製品を選ぶこと
いかなる美的な意味も持たない既製品を「選択」する、という行為の実行。

瓶乾燥機
1914/1964
マルセル・デュシャン
>> 無機質なオブジェとの関連に接点は見出せず、デュシャンの「レディメイド」と松澤の「オブジェ」の関係は希薄…。
| 媒介者・瀧口修造
オブジェを拡めたデュシャン、オブジェを消した松澤、そして熱心なオブジェのコレクターでもあった瀧口、オブジェを巡る3者の奇妙な繋がり。
《プサイの死体遺棄》1964 「オブジェを消せ」の啓示を受けた後に発表した最初の作品で、読売アンデパンダン展の中止に伴い急遽開催された「アンデパンダン’64」で配布されました。思考を表す手段であったオブジェが消え、紙(チラシ)が作品として独立した、つまり作品が思考、観念のみになったことを宜言するマニフェストであったとも言えるでしょう。内容は、五感では捉えられない新たな絵画である「非感覚絵画」の概念を、中心から外へ向かう曼荼羅の順番に沿って解説すると同時に、鑑賞者へ非感覚絵画を想起させる役割を担っています。
>> 言語化は情報化を促しプロパガンダに、ドキュメントは記録物、印刷物としてオブジェクトになる。実際問題、オブジェは消えていないのではないか、と。
>> 下記、ハンドアウトを抜粋し転記。
マルセル・デュシャン + 松澤宥 – オブジェの誕生と消滅 – 池田淳史
本展では、同じ年にオブジェの複製を決めたデュシャンと、オブジェを消した松澤という、一見対象的な両者の行為を中心に、媒体としてのオブジェ、ひいては芸術作品そのものに対する二人の姿勢を振り返り、その思考の一端を考察する。
既製品を選ぶこと
| オブジェと作品のオリジナリティ
元々が大量生産された既製品であるレディメイドに一点もののオリジナルという概念は希薄で、同じ製品でなくともレディメイドとして成り立つはずである。
物質文明を否定した松澤は、美術に触れる際支配的な役割を担う視覚についても「私はまった<信じませんし、むしろ視覚が人類をダメにした」とまで断言している。この発言には、網膜的なものを否定したデュシャンと相通じるところがあるが、オブジェから離れなかったデュシャンとは異なり、視覚と不可分の関係にあった「物」を切り落とすことで、視覚から脱して心的なアプローチへと向かうことができたと言えよう。
全人類が所有できる観念美術へと向かうためには、オブジェという枠から離れ、物から解き放たれる必要があったのである。
| 展覧会メモ
東山魁夷館開館35周年記念展 | 東山魁夷 2025.10.04 – 11.16 | 長野県立美術館

1968年に竣工した皇居宮殿壁画《朝明けの潮》
日本の風景美に回帰するきっかけとなった。
取材地:山口県青海島
>> ちなみに山口県は「初代内閣総理大臣の伊藤博文をはじめ、山県有朋、桂太郎、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三など、内閣総理大臣を輩出する割合は日本一です。幕末維新期には、吉田松陰や高杉晋作、木戸孝允らが活躍した」とのこと。なんだか不穏な背景、時代の潮流、ナショナリズムさえ想起させはしないだろうか。
>> 奥行きのない「道」
>> 霧や霞がたちこめる山あい、日本の四季を感じさせる光景や風土は多視点的且つ文化的にどこまでもスーパーフラットな多面体構造、“おもてなし”を想起、見え隠れする。
>> 東山魁夷の風景描写は小品に限るな〜っと。
・《潮音 小下図》1966
・《谿紅葉》1968
・《山雲湧く》1976
・《白い朝》1980
>> コレクション展示で藤井光の《日本の戦争美術 1946》2022も見れるが会期終了間近…。