第二部 歴史
一
帝国のプリズムを通して気候変動を見るということは、第一に、地球温暖化のあらゆる側面ーーその原因や、思想的かつ歴史的な影響、そしてこれへのグローバルな応答といったーーにとって、アジアという大陸を概念として取り入れることが決定的に重要であると認識することである。
二
中国や南アジア、東南アジアを支える河川はチベットとヒマラヤ山脈に源を発する。そこで貯められた水は堆積した氷のかたちをとっていて、世界人口の四七パーセントを支えているーー「人類の半数が抱く、水にまつわる夢と恐怖とがここに収斂してくるのだ」。しかし、この地帯は世界的平均の二倍もの速さで温暖化しており、二〇〇八年にはヒマラヤの氷河のうち一九四〇年代中頃以降に形成された氷がすべて失われていたことがわかった。
ある計算では、ヒマラヤの氷河の三分の一が二〇五〇年までに消滅するという。
すでに世界の河川の四分の一が海に到達する前に枯れている。そうした河川のほとんどではないにせよかなりの数が、アジアにあるのだ。
どんな戦略であっても、それがアジアのなかで機能し多くのアジア人によって採用されないかぎり、グローバルな戦略にはなりえないことは厳然たる事実である。にもかかわらず、この点においても、アジア大陸特有の諸条件はしばしば議論からはずされているのである。
三
アジアの人びとが被害をうけやすいということは、かれらが地球温暖化で中心的な位置にあることのひとつの側面にすぎない。
なぜなら、気候危機をこれほど深刻にしたのは、アジアのもっとも人口の多い国々における一九八〇年代以降の急速かつ広範囲な工業化だからだ。
アジアの歴史的な経験は、すべての人間によってこうした生活様式が採用されることを、わたしたちの惑星は許さないという事実を証明しているのだ。 アジアは恐怖に襲われたまぬけ者という役割を演じるなかで、自らの沈黙を通して、グローバルな支配システムの中枢で黙殺されてきたことーいまではかつてないほどあきらかとなったことーーをも暴いてきたのだ。
四
なぜ、もっとも人口稠密なアジア諸国の工業化が二〇世紀の終わりまで遅れ、それ以前には起こらなかったのか。
奇妙なことに、この問いが地球温暖化の歴史を説明するなかで明確にもちだされることはほとんどない。しかし、こういった〔問われずじまいの〕歴史はしばしば、なぜ非西洋世界が炭素経済に参入するのが遅かったのかという問いに暗黙の答えをあたえてくれる。
この観点からすれば、工業化は、技術が西洋から外に向かって伝播する過程を通して起こるということになる。
歴史家のサンジャイ・スブラフマニヤムが久しく議論してきたように、近代性とは西洋から世界の他地域にひろまった「ウィルス」ではない。それはむしろ、世界のことなる地域でほとんど同時に生じ、さまざまな反復をともなった、「グローバルに連動した現象」だったのだ。
この多種多様性は、化石燃料の使用にもあてはまるものだ。それは非西洋世界においてながい歴史をもっており、いまではほとんど忘れられてしまったものの、その歴史は産業革命に至るまでの期間とその直後に勃興した〔複数の〕近代についていくつかの新たな洞察をあたえてくれる。
『大いなる錯乱 気候変動と〈思考しえぬもの〉』アミタヴ・ゴーシュ/著、三原 芳秋・井沼 香保里/訳
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