mitsuhiro yamagiwa

時とところが変われば、私たちの感性と結びつく文化のありかたは変わります。

                                          

平凡な日常的事物のように、とても親しみあるもののうちにさえ、私たちは新奇さを見出すことがあり、しかもそれが美的によいと感じられるケースがあるのです。

一定期間を同じ場所で暮らすことで、私たちはその場所に親しみを感じるようになりますが、そこで一切の刺激、すなわち新奇さを発見することがなければ、その親しみは退屈へと転じ、その場所で暮らすこと自体をネガティブなことに感じるようになってしまうかもしれません。

大切なのは、単一の視点からの言説のみが「常識」として定着していかないように、さまざまな人が日常美学の探究を試みることだと思います。

私たちは少しずつ、終わりなき改善に取り組んでいくしかないのです。

「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門 青田麻未/著

https://artscape.jp/article/40860

平易でない難しい言葉には、たくさんの意味合いが含まれています。ですから、難しい言葉を使うと、いいことを言えた気がしてしまうのです。平易な言葉では、そのようなごまかしはききません。

現実世界の現実性は、経験を超越しています。こうした現実性の超越にもかかわらず、驚くべきことに、現実性は経験されています。私たちは世界を経験したうえで、経験された世界に「現実性」という言葉をあてはめ、この世界を「現実」世界と呼んでいるのです。

私たちがもっと深いところで忘れてしまっているのは、左右発案者が鏡像のような虚像を使ったということです。「左右」という言葉の中には、現実と虚との対比が生きている、そのことを私たちは忘れてしまっているのです。

左右を哲学する 清水将吾/著

https://artscape.jp/article/46441